福知山城 その1

福知山城へ視察研修

福知山城 その2

県外のお城見学会、今年は10月28日に福知山城へ行ってきました。

コロナ禍により、今回は和歌山城以来の遠出だ。参加者17名が高松を朝7時30分に出発。車内では福知山城と丹波亀山城(亀岡城)をビデオで予習。11時30分ごろ福知山城に到着するとボランティアガイドの芦田さんと阪根さんが待ち構えてくれていた。
福知山市の人口は?との問いに「7万7千7百人、パチンコ屋さんで喜ぶ数字ですよ。」といきなり笑いを誘うガイドさんの答えに和気あいあいの研修が始まりました。
秋空の下、記念写真で皆さんハイ・ポーズ。A班とB班に分かれてこのお城の特徴である転用石などの詳細な説明を受けつつ天守閣へ入城。福知山城は明智光秀が天正7年(1579)頃に築いたことから始まること、内部は歴史資料館になっていて、光秀は短い統治期間の中で、地子銭(ぢしせん:屋敷にかける年貢)の免除や治水事業を行うなどの善政を行ったが、それらの古文書や書状が展示されていた。
なぜ光秀が本能寺の変を引き起こしたのか?いまだに謎であるとのこと、そして、「山崎合戦」の後、悲劇的な最期を迎えるが、福知山の民衆は光秀の事績を忘れることなく「名君」として現在も親しまれている、とのこと。とにかく本能寺の変を起こすに至る疑問点(説)が非常に多いことが分かった。
旅の楽しみは食事。「たかた荘」では会席弁当、昼から飲むビールのうまかったこと。また地酒も最高でした。
帰りはDVDで、クラウンレコードの成世昌平が歌う「高松城」や振り付けの紹介があり、特に三番「天下に数多の城あれど、奇絶な造りに誇りあり、水城、玉藻、高松城」のくだりに大感激。できるだけ早く天守復元が実現するよう祈るような気持ちになりました。
終りに、添乗員、運転手、そして事務局には大変お世話になりありがとうございました。次の機会にも皆さんとご一緒できることを願っております。

     紅葉は まだ早かりし 丹波路へ
         17名が 古城を訪ねる

(丸亀市 西山一雄)