大阪城見学会に参加して

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「高松城復元市民の会」に入会して間もない者ですが、大阪城見学の機会を得て、少しでも城郭の知識を広げたく参加させていただきました。
大阪城は何十年か前に行ったことがある程度で、大阪といえば大阪城というあまりにも有名でいつでも行けるという気持から逆に敢て行く機会もなく「近きにありて、遠きもの」の存在でした。
ガイドさん話で、やはり普通の城とは全く異なる城の感がありました。

まずは、石垣です。過去には大阪城の築城に小豆島から石を運んだという話は聞きましたが、想像を絶するような大きな石塊を各地から運ばれてきたわけですが、今これを見るにつけどのようにして運んだのだろうか。
コロを並べて押すか引くかして移動したとのことですが、その石を切りだして、どのようにして山から下ろし、コロに載せたのか、どのようにして石垣に整然と積み重ねたのか、積み方にしても崩れを防ぐために、交互に置き曲線にしている。昨年、震災後の熊本城を見ましたが石垣の積み方は同じでしたが当時の築城技術の発達には興味が絶えません。
群雄割拠の戦国時代の人海戦術で人命などいとわない時代の産物かもしれませんが・・・。
天守閣にしても修復した徳川家康らしく豪華なものでした。姫路城の美しさとは異なった戦国時代にふさわしく、しかも美しい城であると感じました。

昨年、織田信長の居城であった安土城跡を見に行きましたが、山の頂上にあって登城の途中の石段道の両脇に徳川家康、羽柴秀吉等の重鎮の居宅跡の石垣塀、墓石を使った石段とか、天守閣のモニュメント等を見ましたが、これとても戦国時代の他に類を見ない城跡であると感じました。
さて、我に返って、高松人として高松に来る客人を案内するとなると、まず栗林公園、こんぴらさん、屋島となりますが高松城の玉藻公園へは殆ど声をかけません。

讃岐国では、歴史に残る勇猛な戦いがあったことでもなく天下に名高い名将が居たわけでもないのですから、「高松城復元の会」で学びましたように、他にはあまり例を見ない瀬戸内海に面した城であること、重要文化財である披雲閣と庭園等を特徴とした高松城の復元を願うものであります。
見学のお世話をされた方々に御礼を申し上げ、参加させていただきありがとうございました。

久保 仁