統一地方選挙後の初の市議会開会に合わせ、天守復元の議論を盛り上げるため、要望書を提出しました。
今後、7月末ごろには文化庁(京都)へ直接要望を伝えることにしています。

統一地方選挙後の初の市議会開会に合わせ、天守復元の議論を盛り上げるため、要望書を提出しました。
今後、7月末ごろには文化庁(京都)へ直接要望を伝えることにしています。

〜第2回ちよ姫会【玉藻学校】~2023年6月25日(日)~

幕末から明治・大正・昭和と83年の生涯
ベールに包まれた弥千代姫の足跡を
高松藩の歴史を紐解く事で人物像にせまる勉強会です。
そして、弥千代姫のお部屋であった 披雲閣「桐の間」を
玉藻学校(注:参照)と名付けて、勉強会をしました。

注:玉藻学校とは、明治8年に讃岐松平家の江戸屋敷に私立の外国語学校を松平頼聰公が設立しました
【本日の時間割】

1限目 歴史 「弥千代姫はどんな結婚生活だったのか」 直美ちゃん
弥千代姫がお輿入れをした背景。
その後の、日本の状況を詳しく解説。
弥千代姫の使命・役割は・・

2限目 生活 「大名御駕籠に魅せられて」 逢坂貴良
お駕籠への情熱が、
ついに。。自分でお駕籠を手に入れるまでの経緯を解説。

3限目 国際 「1800年代の日英関係」 多田優子
自身のイギリス留学の経験も交えて、
1800年代の日本とイギリスの関係を解説。

4限目 体育 「御殿女中による一合まいた」 わだもん
勉強をした後は、「一合まいた」で、みんなで輪になって
踊って、身体を動かしました。


江戸時代後期の御台所や高級女中の夏の正装 ↑
「下げ帯姿」
【ご報告】
いよいよ、11月、
松平洋史子氏(弥千代姫の曾孫)が、高松城の復元を進める市民の会で講演予定です。
5月24日(水)通常総会が終わり、NPO法人を解散しました。
引き続いて、任団体として「高松城の復元を進める市民の会」の設立総会を開催、満場一致で提出議案は可決されました。
今後は、解散法人の清算処理を行うとともに、新規設立した団体の郵便振替口座開設などを進め、皆様にお知らせいたします。
なお、新規役員はホームページにアップしております。
通常総会の日程が決まりました。
日時:5月24日(水)14時~
場所:丸亀町壱番街 カルチャールーム
※会員の皆様には、5月に入りましてからご案内文書をお送りします。
『高松城復元かわら版』第11号を発行しました!
高松城復元を進める市民の会の活動を知っていただく上で、
とてもわかりやすい内容になっていますので、ぜひご覧ください。
■PDFのダウンロードはこちら
PDFをダウンロードする
タイトルは、「栗林公園と歴代藩主」―瀬戸の都に咲いた華― (株)美巧社
特別名勝 栗林公園の研究に長年取り組まれてきた平井二郎氏がこれまでの研究成果を集大成したともいえる内容になっています。
構成は、歴史編、庭園編の2部に分け、歴史編では公園が形成されていく過程を歴代城主ごとに詳しく記述されていますので大変参考になります。
また、庭園編では、5代藩主頼恭の時代に編纂された「栗林荘記」などに見どころとして記述されている内容を現代文に直してわかりやすく説明してくれています。
少し濃い内容の歴史観光読本でありますが、是非一読しておきたい本といえましょう。
なお、この本は平井二郎氏が監修、村井眞明氏が執筆、田中哲也氏が編集と3人の共同制作です。
(四国新聞12月11日付け、9面にこの本の紹介がされています。)
また、出版を記念して、去る11日に記念講演会が開催されました。
幕末11代藩主松平頼聡公の正室は、大老井伊直弼の息女「弥千代姫」。
二人は仲睦まじい夫婦でしたが、幕末の動乱の中、政治的対立により泣く泣く離縁となり、9年間離れ離れとなりました。
江戸時代は終わり、明治5年、頼聡公と弥千代姫は復縁しました。
令和4年は、この復縁からちょうど150年の節目の年にあたります。
本公演では、復縁150年の節目を祝うことで、近代高松の歴史を再認識し、地元の伝統や文化に触れる機会にしたいと考えます。


今年の県外のお城見学会は、6月28日、コロナ感染第7波が始まる直前のタイミングになりましたが、松江城に行ってきました。
以下、参加された山地宏和氏のレポートと写真を紹介します。








桜御門が7月16日に復元整備され、開門式が行われました。
式典で大西高松市長は、”これを契機に天守再現の機運醸成に繋げたい”と挨拶し、関係者らがテープカット行い12年かかってやっとこぎつけた落成を祝いました。
本会では、空襲で焼失後77年ぶりの慶事に花を添えるべく、披雲閣大書院で高松城の歌や踊り、一合まいたなどを披露、そして参加者には紅白のお祝い餅を配りました。
また、本会が寄贈した白地に桜の紋章入りの幔幕が南側正門にかけられ、往時の姿を偲ばせました。
