高松城天守台は、築城から約420年の経過により、劣化が進行し、崩壊も危惧されていました。
平成17年から始まった石垣の解体・積み直し工事が平成24年3月に終了し、築城時の美しいシルエットと強度を取り戻しました。
また、調査などから掘立柱と、礎石を併用した珍しい構造により四国最大の天守閣を支えていたことも判明しました。
解体調査によりさまざまな資料も増え、天守閣復元の大きな弾みになることでしょう。
昭和20年の高松大空襲で消失した「桜御門」は、平成22年に高松市による基礎部分の発掘調査が終了し、その構造が明らかとなりました。
桜御門の復元は、平成8年の高松市の「保存整備計画」に位置づけられながらも、諸般の事情が重なり、三度にわたり契約が不調。やっと令和元年12月の市議会で復元工事契約が成立しました。
披雲閣の正面にあたる桜御門の完成により、大手の旭門から入り櫓門をくぐり御殿へ進むという往時の景観が再現することになります。
『小神野筆帖』という古文書には、藩主在国時に、年初めや五節句、使者を迎えるなど特別な日には、白麻地に桜の紋が入った幔幕を張っていたなどという記述もあり、これを再現することは、史蹟高松城跡の史実に基づく「保存・活用」の第一歩となるに違いありません。
天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌16年(1588)から高松城を築城しました。このとき、「野原」の地名を『高松』と改めました。
北は瀬戸内海に面し、内堀、中掘、外堀の3重の堀で残り3方を取り囲んだ平城(水城)で、その設計は黒田如水、藤堂高虎、細川忠興などの諸説があります。また玉藻城とも呼ばれ、これは讃岐の国の枕詞「玉藻よし」に由来すると言われています。
生駒氏の治世は寛永17年(1640)の生駒騒動による転封まで4代54年間に及びました。生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、徳川家康の孫で、徳川光圀の兄でもある松平頼重に東讃12万石が与えられました。
頼重は城内の改修を行い寛文10年(1670)に天守の改築させ、翌年から東ノ丸、北ノ丸を新造し、2代藩主頼常は月見櫓や艮櫓などを建て、大手を南側から南東側に移動し、三ノ丸に御殿を建てました。その後、城は大きく改変されることなく、11代にわたって松平氏の居城としてその姿を見せていましたが、慶応4年(1868)、官軍に開城することになりました。
明治時代には城の中心部は陸軍の所有となり、天守を始めとする多くの建物が取り壊され、外堀は埋め立てられ市街化が進みました。明治23年(1890)に再び松平家に払い下げとなり、天守台に玉藻廟、三ノ丸に現在の披雲閣が建築されました。昭和20年(1945)には戦災で桜御門が焼失しましたが、昭和22年(1947)に国の重要文化財に指定され、昭和29年(1954)には城跡が高松市の所有となり、昭和30年(1955)には国の史跡に指定されるとともに、玉藻公園として一般に公開され、市民に親しまれています。
平成24年(2012)には披雲閣の3棟が国の重要文化財に、翌25年(2013)には披雲閣庭園が国の名勝に指定されています。これにより、高松城跡は、史跡・名勝・重要文化財の3重指定となりました。
(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)
かつて「讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上」とうたわれたように、日本三代水城の1つに数えられています。市街地にありながらも堀や石垣が残り、往時の姿を良く残していることから国の史跡に指定されています。
城内の中心に位置し、かつては東側に天守が存在しました。かつては本丸内に御殿も所在しましたが、明治17年(1884年)に老朽化を理由に解体されました。天守台石垣は、その傷みが目立つことから、平成18年~25年(1996~2013)にかけて解体修理が行われました。
【二の丸】
かつては多くの櫓がありました。本丸同様、生駒時代や松平時代の初期には御殿も所在していました。現在は広場となり、植木市などさまざまなイベントが催されます。
【三の丸】
三の丸には藩主御殿が所在しました。またその正門として桜田門がありました。現在は大正時代に建てられた重要文化財披雲閣と、同時期に作庭した名勝の披雲閣庭園が所在します。
【桜の馬場】
生駒家時代には、厩や藩士の屋敷などがあり、また藩政を行う場所としての対面所がありました。その後、松平家の改修により、これらの施設はなくなりました。現在は桜が植樹され、花見などでにぎわいます。
【北の丸】
北の丸の西端には延宝4年(1676)に建築された月見櫓、渡櫓、水手御門が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。
【東の丸】
県民ホールや県立ミュージアムが所在する場所が、東の丸に該当します。かつては米蔵などが立ち並んでいました。
【堀】
高松城は3方を堀に囲まれていましたが、現在は内堀と中堀の一部のみが史跡として保存されています。水門を通じて海水を引き込んでいるので、鯛をはじめ、海洋生物が数多く生息しています。
(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)
皆様には本会の目的達成の為に日頃より、ひとかたならぬご高配を賜り、心より感謝申し上げます。
さて、永年に渡る皆様の大変なご尽力にも関わらず、
現行制度の中では、なかなかお城の再興は叶いません。
しかし、専門家の言に依ると、高松城天守閣の再興は
99%可能だと言うことです。
残りの1%は正に「民意」であり、
この1%こそが天守閣の再興を叶える最も重要な条件であり
この民意こそが、困難な事業を可能にする
たった一つの要件であると考えています。
本会はまさに市民の総意である「民意」を築き上げる
触媒に他なりません。
人口減少、高齢化社会と言う大きな地殻変動の中では
国は地方創生を国策として掲げ
本年は「地方創生元年」と位置付けられ
規制緩和、財政支援など、過去になかった地方の再生に向けての
大きな施策がスタートしました。
地方創生の一つのキーワードでもある観光資源としても
このチャンスを捕まえ、永年に渡る悲願であった
高松城天守閣再興に向けて、私達は動かなければなりません。
そしてこれは、もしかすると最後のチャンスであるかもしれません。
この大きな事業を具現化するのは、決して私ごときの力では
動かせ得るものではありません。
本会会員の皆様のご理解とご協力なしに達成は出来ません。
誠に微力ながら目的の具現化にむけ、最大限の努力をさせて戴きますので
皆様の惜しみないバックアップを切にお願い申し上げ
就任にあたり、ご挨拶とさせて戴きます。
高松城の復元を進める市民の会 理事長 古川康造
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高松城を復元する市民の会には、会員限定でお貸しできる蔵書があります。
非常に貴重な蔵書ですので、興味がある方はお問い合わせコーナーからお申込みください。
3、史跡高松城跡(天守台)-発掘調査編ー
市によると、桜御門の復元には(1)文化庁復元検討委員会の審査、(2)建築基準法の適用除外の審査、などの課題がありました。(1)については、現存している礎石、石垣の遺構や古写真、絵図、焼失前に桜御門に入った経験を持つ古老からの聞き取りなど一つひとつ資料を整え、平成24年度から3年かかり許可に至った、とのことでした。